和紙粘着テープ原紙の販売を開始
【昭和29年】紙の街「四国 川之江」出身者が集まって、企業への産業用原紙に特化した販売を主体事業とし、大阪の地において興亜商事株式会社は誕生した。すでにこの頃から、興亜商事が常に追及し、興亜商事の原点でもある「専門性」への取り組みを始めていた。 原紙を造る業者と一体となり、加工メーカーに提案、三位一体の体制でお客様のニーズにあった最適な製品を造り、市場へ送り出す・・・。そのニーズにあった製品への信頼が企業としての信頼へ。そして、市場における興亜商事のポジションの獲得へ。現在も受け継がれる興亜商事の基本概念がここから始まった。
市場ニーズを先読みでトップシェア
【昭和30年代半ば】大手が参入できない分野と見込んだプリーツ紙分野にいち早く参画。そうしたなか、 昭和41年に東京オリンピックに端を発した「プリーツブーム」にのり、その結果プリーツ紙の販売をほぼ独占。「プリーツ紙といえば興亜商事」「プリーツ紙の興亜さん」といわれるほどの占有率で、現在もプリーツ紙業界のトップシェアを誇っている。
産業の成長とともに
【昭和30年代後半】日本産業が急速に成長を続けていく中、産業用原紙・粘着という興亜商事の主体事業コンセプトは変えずに、当時の新用紙であった『剥離紙』の成長性を見込み、ここでもいち早く参画。ユーザー&メーカーとの三位一体の取り組みはそのままに、剥離紙の販売も手がけ、剥離紙業界における信頼も確立。現在の興亜商事の主軸事業として、今も様々な提案を行っている。
変化する流れを確実に捉える
【昭和40年代半ば】新しい「布」・・・でもなく、でも従来の「紙」・・・とも違う。。。そんな新しい「紙」素材である『不織布』の将来性を見抜き事業参画。しかも不織布に至っては、商社という枠を飛び越え、初の加工事業にも着手。専門性高い様々な産業用特殊紙を知り尽くした興亜商事だからこその着眼点と決断力で更なる事業を展開。
絶えず先へ…お客様のために!
【平成初期】当社では、今日の需要拡大に先駆けて、LCD、携帯電話、PDA他エレクトロニクス製品の産業界に向けた、フイルムセパレータ、微粘着キャリアーフィルム等工程用フィルムをいち早く手掛け、今日、この分野では、有力供給元としてユーザー各社の高い評価を得ています。また、常に品質の向上、新製品の開発、安定供給体制の確立に取り組んでおり、国内はもとより、海外販売の拡大にも取り組んでいます。この工場では、ニーズにあった様々なジャンルの不織布加工製品を作っています。少数精鋭の専門性を追求した生産体制をとっていることで、製品化におけるお客様の細かな要望を実現でき、また、小ロットでの対応もできる柔軟性があります。
これがお客様のニーズを的確に捉えることができる興亜商事の加工ラインの強みそのものです。また、技術力についても時代が求める製品を作っていくために、常に市場動向を捉え、技術革新に取り組んでいます。専門性を追求し、形にしていくことで蓄積された「加工力」で、これからも、今までにない業界での新たな不織布加工製品を生み出す追求を進めていきます。